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Vol.22 グッチョ感はいつから?・【シリーズ】”合う”という関わり(第2回)

更新日:202304051000


【あそこであげなこつ】支え合いをさかのぼる

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テキスト版

【リード】
地域福祉、地域共生社会、支え合い。これまで「し合う」という感覚をいろんな言葉で表現してきました。そういう感覚はいつから?と、歴史をさかのぼってみようと思いつきました。専門家に聞くと、筑後地域の成り立ちと切っては切れないことのようで―
【資源に乏しい島国だから】
「支え合いやシェアの文化をさかのぼると、アフリカで誕生した人類が、猛獣から身を守るため集団をつくり始めた頃に至ります。集団が存続するために本能的に大きく二つの戦略が発生したそうです。一つは他の集団から奪うこと。もう一つは、周りの集団とシェアし合うことです」。こう話すのは久留米市役所文化財保護課の小澤太郎さん。今回の記事のキーマンです。
「列島に住む我々が最初に選択した道は、後者でした。資源が乏しい島国で、みんなが生きていくにはそれしかない。断層によって形成された日本列島は、平地が狭い。全てを一つの地域で完結できないから、おのずとシェアの文化が根付いたのでしょう」と話します。
【庄屋と農民のグッチョな関係】
私たちが暮らす筑紫平野は、さまざまな農作物が採れるため「肥沃な大地」と言われています。注目すべきはその成り立ち。まさに「支え合い」が育んだものでした。
小澤さんによると「この筑紫平野は、江戸時代まで農地開発が難しい環境でした。筑後川の氾濫の多さに加え、平野が川よりも高い位置にあり導水しにくかったんです。当時の農民は本当に厳しい暮らしを強いられていました。それを何とかしようと動いたのが5人の庄屋だったんです」。
庄屋とは、江戸時代の村の役人で、現代の町長や村長のような存在です。筑後川の水を何とか使えないかと、現在のうきは市から本市田主丸町に当たる流域の5人の庄屋が団結。農民と共に筑後川に堰を作り、水路を堀り平野に水を通すことに成功しました。5人は見事に筑紫平野を変身させ、水田耕作を可能にしました。
「高齢の人でも石を運んだりしたみたいですよ。それは強制ではなく『自分たちの土地を何とかしよう』と、できる作業や役割を分かち合ったんだと思います。失敗して庄屋さんが藩から処罰されないように農民は自ら懸命に動いた。完成後、一部の反対していた庄屋から水を使いたいと申し出があった時、五庄屋は『もともと地域のためだから』と分け隔てなく使えるようにしたそうです。まさにグッチョでしょ」と小澤さん。
【地域に関わる実感生まれる】
人類の始まりのアフリカ大陸にも、江戸時代の筑紫平野にも、困難に直面した人々がシェアし支え合う「グッチョ感覚」で乗り越えてきた歴史がありました。現代にもそういった事例はあります。令和2年の球磨川水害で大きな被害を受けたとある町では官民協働で防災計画を見直したり、地域や施設が独自で避難訓練を行ったりしています。
そして久留米でも、住民や事業所ができることを考えて独自に取り組んだケースはいくつもあります。その一つが防災防疫団体「そなえるくるめ」。新型コロナウイルスが猛威を振るう中で始まった動きです。福祉事業所が現場での経験を生かし、個人ができる感染対策や相談先を特設サイトで紹介。自宅療養者向けに感染対策用品を配布しました。ワクチン接種が始まると、スマホ予約が苦手な人の手続きサポートも。

自然災害、感染症、紛争。個の力では太刀打ちできない出来事が頻発し、社会不安が広がっています。まちや地域を「自分たちがつくる」という実感を得にくい時代なのかもしれません。しかし、昔も今も支え合いやシェアという、グッチョな感覚を持ちながら逆境や困難を乗り越えてきた人々がいました。
こういった感覚を日常から持つことができれば、ただ「住む場所」から、地域や周囲の人との関わりを持ちながら「暮らす所」に変わるのかもしれません。グッチョな感覚が循環すれば社会はきっと変わるし、身の回りの安心として返ってくるはず。
グッチョ感の歴史を振り返ることで、今自分が地域と関わるヒントや、まちのこれからに大切なものが見えた気がします。
(担当・フトシ)

【シリーズ説明:市民が執筆・共同編集の新企画がスタート。“合う”の視点で人との関わりを考える】
久留米市は令和2年から「支え合いを文化として根付かせるために」と、いろんな人の対話の場を開催してきました。その中で気づいたことの一つに「知識より意識」「課題より可能性」「解決より関係性」があります。困り事を抱えた人に、より多くの人が関わるために大切な視点です。
福祉の専門家は「知識」を持って「課題」の「解決」を目指して関わります。では、専門家に任せておけば良いのか。地域で暮らしていくには、友人や知人、隣人など、より多くの人の“支え合い”という関わりが欠かせません。
三つのフレーズに込めた意味を3回のシリーズ記事で解説。市の委託事業で、多くの人が関わり合える手法“叶え合う支援”を模索するメンバーが執筆します。実際の出来事や専門家との対談などを通して、“AU(合う)”視点の大切さを訴えます。
【第2回:福祉の研究者が紐解く「知識より意識」】
このシリーズでテーマにしている三つのワードは、多くの人が関わり合う地域を実現するための大切な視点となるはず。第2回は「知識より意識」にフォーカスした対談を企画しました。日本福祉大学で「地域福祉」を長年研究している平野隆之さんと、100人の貧困家庭からの脱出を掲げる血縁なき大家族「じじっか」副代表の中村路子さんが対談します。(聞き手:同シリーズ編集長 古賀円)
【意識が関係性をつくり可能性を広げる】
中村 「知識より意識」という言葉は、私が「じじっか」の取り組みの中で感じたことでした。この言葉を聞いて研究者として率直にどう感じますか。
平野 やはり、じじっかなんですね。中村さんの中にひとり親の家庭だけが大変なわけじゃないんだという気持ちが生まれて、「支援の普遍性」を求めた要素がじじっかの中にあるんじゃないのかな。「ひとり親」の枠を超えて「生活当事者」。そういう意識で関わり方は変わりますよね。
私は知識も意識も両方大切という立場。でも「意識が関係性づくりの可能性を広げる」ということかな。専門職が知識のみを使う関わり方とはスタンスが異なる。専門職と並走しながら、意識側の人が関わる余白を残すことが大事。その余白に本人の願いを描くということでしょうか。
【「動けない」と「自由に遊びたい」】
中村 三つのキーワードなどを基に、今検証を進めているのが「叶え合う支援」。いろんな人が関われるように、という同じ視点です。例えば「身体が自由に動かない」という人がいて、課題から「動けない人」と括ると、介護を入れる?訪問は必要?という視点が先に立つ。でも「自由に遊びたい」という側面から見るとそれは「願い」になる。「意識」から「関係性」を築いて、そこをつかめると、動けないなりに遊んだり、時間を見つけて会いに行ったりと、関わり方が広がる。「叶え合う」と言っても別に夢やワクワクだけを追いたいのではなくて、同じ目的地につながるための二車線道路のイメージです。
平野 もともと制度による福祉と自発的な地域福祉はセットが良いのです。久留米でも取り組んでいる重層的支援体制整備は、相談支援・参加支援・地域づくりで構成されています。言い換えると「支援は必ずしも相談から出発する訳ではない」という事。支援の在り方も「意思表明支援」にシフトしてきています。関係性をつくる過程で本人が「願いを言って良いんだ」と感じ、気持ちを出す力が高まる。そうやって徐々に地域との関係の中に戻っていくのです。
【知識と意識の編集を起こし続けて】
古賀 叶え合う支援は、市の委託で「久留米らしい重なり方デザイン事業」として、専門職と地域の重なり方を検証してきました。
平野 私は、「叶え合う」という問題提起は、重層的支援にとって大きな価値があると思っています。でもそれが意識のデザイン止まりなら専門職は納得しないはずです。応用知識としての「編集」を加え続ければ、専門職も視点を捉え直し、知識と意識の変化が生まれる。編集を運河に例えた人がいますが、関係づくりの機運という水位を上げる行為が編集だと思います。生まれたデザインを社会実装につなげる段階がこれからなのかな。実現した社会を私も見てみたいですね。

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