トップ > 計画・政策 > 平和の取り組み > 戦争の痕跡を辿る > 戦争体験証言と荒木空襲映像(動画)
更新日:2026年06月02日 20時38分
久留米大空襲を体験されたお二方の悲惨な記憶を語っていただいた証言動画と、米軍が撮影した荒木空襲の映像です。
戦争を知らない世代の皆さんにも、「戦争とは何か」ということを考えるきっかけにしていただければ幸いです。
六ツ門町に父母と弟で住んでいた美智子さんは、空襲警報とともに、近所の空き地にあった共同防空壕へ避難します。
次々に投下される焼夷弾と渦巻き立ち昇る炎と煙。防空壕に延焼しないように皆で決死の放水活動をします。しかし、火の気が治まっても、金丸校の国民義勇隊の会合に出かけた父は帰ってきませんでした。
知人の通報で駆けつけた陸軍病院で、父は全身を包帯でぐるぐる巻きにされていました。やがて息を引き取った父を大八車で火葬場に運びました。火葬場には、多くの犠牲者の遺体が折り重ねられています。血の海が広がり、強い臭気があたりに漂っていました。
学徒動員中に鳴り響いた空襲警報のため、中央町の自宅に帰された幸子さんは、急いで防空壕に飛び込みます。同時に爆音が聞こえ、大雨の降るようなザーッという音とともに焼夷弾が落ちてきました。
ここは危ないという父の言葉で、母と炎の中を必死に逃げました。前を走っている人たちは、皆裸足。道には焼夷弾がぬかりこみ、火の海と泣き叫ぶ声の中を、全身焼け爛れた人たちが担架で次々と運ばれて行きます。
数時間後、帰り道に広がる街の光景は一変、家は全部焼け落ち、残っているのは旭屋デパートと銀行のみ。人々は呆然と立ち尽くしているだけでした。
荒木空襲とは、昭和20(1945)年8月8日(水曜日)午前11時半頃に現在のJR荒木駅付近で起きた空襲のことです。
国鉄荒木駅北上空から超低空で侵入したP51ムスタンク戦闘機2機が、4両編成の列車及び駅周辺の建物に向けて何度も旋回しながら、繰り返し機銃掃射を浴びせました。国鉄の記録では、この空襲で旅客22名が重軽傷を負ったとあります。周辺地域では、福徳長酒類九州工場の建物や南側レンガ塀などに、この時の機銃掃射で12.7ミリ弾が貫通したと考えられる穴が点々と残っています。
この映像は、P51ムスタンク戦闘機の翼に取り付けられたガンカメラで撮影されたものです。本収録映像は、米国立公文書館から入手したものです。映像は1分10秒程の長さですが、写真記録に比べて生々しく臨場感があります。