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からくり儀右衛門(田中久重)の生涯

更新日:202110261021


田中久重ってどんなひと?

久留米リサーチセンターにある田中久重銅像 「からくり儀右衛門」こと田中久重
 田中久重は、江戸時代の終わりに、久留米城下の通町十丁目に生まれました。幼い頃から手先が器用で、地元の五穀神社の祭礼などでからくり人形の屋台を上演し、大変に好評を博したといいます。
 その後、からくり人形師として大坂や京都に移住し、無尽灯や懐中燭台などの生活利器や、和時計の最高傑作といわれる万年時計などを製作しました。
 さらに50歳を過ぎてから佐賀藩や久留米藩に招かれ、蒸気機関や大砲の研究開発、製造にとりくみ、日本の近代技術の発展に大いに貢献しました。
 明治維新後は、75歳で東京に進出しました。銀座に構えた店舗兼工場は、現在の大手電気機器メーカー「東芝」の前身となりました。

平成25年度「からくり儀右衛門展」サテライト展示

この資料は、平成25年度に「からくり儀右衛門展」の事前広報のため、市内で展示された「からくり儀右衛門サテライト展示」の資料です。からくり儀右衛門こと田中久重の生涯とその作品について解説されていますので、田中久重を理解する資料としてご利用下さい。

第1回「受け継がれるものづくりの心」

JR久留米駅東口広場の巨大なタイヤ (第1回)
ゴム産業やバイオ産業、自動車産業など、国内外に貢献する久留米の「ものづくり」。江戸時代末期から活躍した田中久重をはじめ井上伝、倉田雲平、石橋正二郎など、多くの人たちの功績がその礎となっています。人から人へと受け継がれてきた「ものづくり」の技と情熱を、歴史をさかのぼってご紹介します。

第2回「ものづくり日本の礎を築いた天才技術者の素顔」

からくり時計の最高傑作「万年自鳴鐘」 (第2回)
江戸時代後期から幕末を経て明治維新を迎える激動の時代の中で、工作好きの田中久重少年は、ますます発明工夫に没頭していきます。やがて「からくり師」、「発明家」として成功をおさめ、日本一の時計・機械技術者とも称されるようになりました。そして五〇歳を過ぎたころから、新たに西洋の科学技術と近代産業へ取り組みます。今回は、情熱と探究心あふれる久重の人物像に迫ります。

第3回「儀右衛門さんの故郷をめぐる旅」

(第3回)
長かった江戸時代も終りに近いころ、からくり儀右衛門こと田中久重は、久留米城下の通町十丁目で生まれました。発明工作好きの久重は、久留米絣創始者・井上伝に絵絣の技法と機械を提供したり、五穀神社の祭礼では、水からくりの仕掛けで見物人の度肝を抜いたりの大活躍。やがて人々は「からくり儀右衛門」と呼ぶようになります。晩年、帰郷した久重は各種機械製造を行い、故郷の近代化にも大きく貢献したのです。

第4回「久重、珠玉の発明品」

(最終回)
からくり人形師から、日本一の時計・機械技術者、さらには近代的な電気機械技術者へ。その生涯は新たな挑戦の連続でした。江戸時代の技術は、在来の技術を巧妙に使う「修練」が重視され、便利な道具を発明するという方向には向きませんでした。久重はいち早く近世的な技術体系と思考を抜け出し、人々の生活に役立つ機械器具を創り出しました。道具としてだけでなく、見た目にも美しい数々の作品をご覧ください。

平成25年度くるめりあ六ツ門展示「からくり儀右衛門紀行」

この資料は、平成25年度に「からくり儀右衛門展」の事前広報展示として、くるめりあ六ツ門図書館展示コーナーで展示された写真パネル展「からくり儀右衛門紀行」の資料です。からくり儀右衛門こと田中久重の故郷久留米での足跡について解説されていますので、田中久重を理解する資料としてご利用下さい。

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