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久留米市埋蔵文化財センターの収蔵品

更新日:202105121141


高良山空中写真

当センターには、市内の遺跡から出土した膨大な量の出土品が収蔵されています。筑後川に面した久留米の地は、有明海から内陸部に上陸する地点であるため、大陸や半島からの玄関口として機能していたと考えられ、各時代を通してその足跡を見ることが出来ます。奈良時代には筑後の国の中心施設として筑後国府が置かれ、国府や国分寺、その周辺の各種の役所や集落などがあります。また、中世には筑後一の宮である高良山を中心に経済、文化、宗教において重要な位置を占めていました。近世には、小早川氏、田中氏の代をへて、有馬氏の居城となり、筑後北半二十一万石の城下町として栄えました。

埋蔵文化財センターに収蔵されている出土品のうち代表的なもの

正福寺遺跡出土のあみかご 縄文時代後期の植物製のアミカゴ。国分町の正福寺遺跡から出土。上津バイパス建設工事に伴って調査された遺跡で、小河川のなかにいくつもの貯蔵穴が掘られ、そのなかにアミカゴや木製品、どんぐりなどが入っていました。水に浸かっている状態で土中に保存されていたため、3000年ほど経った今でも腐らずに、良好な状態で残っていました。

正福寺遺跡出土の直柄付き磨製石斧 同じく正福寺遺跡出土の直柄(なおえ)付き磨製石斧(ませいせきふ)。直柄が装着されたままで発見されたものとしては、日本最古の資料です。また、石斧の刃を納める袋状の網組製品も付属しているものとしては、日本で唯一の資料です。
現在、九州歴史資料館に貸し出し展示中(常設)です。

久保遺跡出土の擬朝鮮系無文土器 久保遺跡(城島中学校校庭)出土の擬朝鮮系無文土器。弥生時代前期末〜中期初頭の土器で、朝鮮半島の無文土器の系譜をひく、黒色磨研という技法でつくられた土器です。土器の形は、無文土器の特徴を残しつつも弥生土器化したもので、渡来人の2世が残したものと考えられます。また、調査では、日本には類例が無く、韓国の光州市に類例がある形状の木製剣把も出土しています。

真っ赤に彩色された安国寺遺跡の弥生土器 安国寺遺跡出土の丹塗り土器。筑後川にかかる神代橋の南西側にある安国寺遺跡は、弥生時代の多数の甕棺や祭祀土坑が発見された国指定の史跡です。

一ノ左右遺跡のガラス玉 荒木町の一ノ左右(いちのさう)遺跡では、お墓の中から大量のガラス玉が出土しています。

良積遺跡の鏡 良積遺跡は、北野町にある弥生時代の大規模な環濠集落です。甕棺墓からは方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)や、大型の管玉、勾玉などが出土しています。

センター2階の収蔵庫にずらりとならぶ弥生時代の甕棺 久留米市は全国でも有数の甕棺墓の密集地帯です。筑後川沿岸の自然堤防上に甕棺墓地が数多く存在しています。当センターには弥生時代前期から後期にかけてのほぼ全ての時期の甕棺が収蔵されています。ちなみに甕棺とは、大型の土器を棺として使用したもので、弥生時代に朝鮮半島から伝わり北部九州を中心に展開した墓制です。

権現塚古墳の人物埴輪 権現塚古墳出土の人物埴輪。大善寺町にある御塚・権現塚古墳は、古墳時代に力を持った豪族「水沼君(みぬまのきみ)」の墳墓と考えられています。御塚は、周溝を含めた全長が125メートルの帆立貝式古墳、権現塚は周溝を含めた全長が150メートルの大円墳です。この人物埴輪は権現塚の第一周溝から出土したもので、市の有形文化財に指定されています。

筑後国府跡出土の緑釉陶器の香炉 筑後国府跡出土の緑釉陶器香炉。国府は、奈良時代に全国に設置された行政機関です。今で言う県庁のようなものですが、政治だけでなく、当時の文化や経済の中心地であったため、貴重な流通品も多く出土します。なかでも、水運と陸運の重要ポイントであった筑後の国府では、全国でも屈指の量の高級陶磁器が出土しています。

イスラム陶器 筑後国府跡出土のイスラム陶器。これまで筑後国府跡からは、6地点でイスラム陶器が出土しています。イスラム陶器はイランで作られた青い釉薬がきれいな陶器で、国内では、平城京や大宰府、鴻ろ館などでしか出土していない貴重なものです。当時の筑後国府が外来の文物が行きかう場所であったことが分かります。

ヘボノ木遺跡出土の香炉 ヘボノ木遺跡出土の香炉。ヘボノ木遺跡は、九州道久留米インターチェンジの西側にある遺跡で、筑後国府跡に隣接しています。回廊状の柵列や大型の掘立柱建物が見つかっており、奈良時代の寺、もしくはなんらかの役所の跡であると考えられています。「寺」と書かれた土師器や、土師器の香炉、金属製の仏具である三鈷杵の置き台などが出土しています。香炉には、煤が付着しており、護摩焚きなどの仏事が行われていたことを示しています。

中世の貿易陶磁器 中世の貿易陶磁器。筑後川から有明海を通じて、久留米は中世の対中国貿易の一大拠点でした。高良山周辺の遺跡や、安武町などで、貿易陶磁器が多く出土します。

VOC銘のある染付け大皿 VOC銘染付け大皿。18世紀前半の芙蓉手と呼ばれる模様を施した大皿で、オランダ東インド会社を示すVOCの銘が入っています。久留米城下町遺跡第14次(日吉町)の調査で出土しました。

鍋島焼の大皿 鍋島染付大根文高台皿。佐賀藩から幕府や朝廷への献上品として作られた高級磁器です。大胆な構図で大根が描かれています。櫛原侍屋敷遺跡の調査で出土しています。

朝妻焼 朝妻焼。朝妻焼は、江戸時代の正徳4年(1714)、第六代久留米藩主有馬則維公の代に、藩の財政再建の一環として創始されました。有田から工人を招き、天草の陶石を輸入して、肥前産の磁器に匹敵する品質を誇りましたが、他産地との競合には勝てず、わずか10年ほどでその幕を下ろしました。久留米城下の発掘調査で頻繁に出土しています。

久留米城下出土の人形 人形、玩具。久留米市は城下町を発掘調査している数少ない自治体のうちの一つです。そのため、江戸時代の庶民が遊んだいろいろなおもちゃが数多く出土しています。

京隈侍屋敷遺跡出土の弾丸 京隈侍屋敷遺跡出土の弾丸。JR久留米駅西口の開発に伴って発掘調査されました。幕末〜明治初頭の小銃の弾で、当時最新式の後装式の西洋銃の弾と考えられます。調査地は中級武士の屋敷地で、この地点は、戊辰戦争に従軍した可児家の屋敷でした。

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