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「ドイツさんと久留米」(久留米俘虜収容所のエピソード)

更新日:202001160845


週刊「ドイツさんと久留米」(全8回)

ドイツさんと久留米のイメージイラストドイツ人捕虜の誕生会の様子

ドイツ兵捕虜の誕生会の様子。サクラビールとキリンビールで乾杯。

(久留米市教育委員会所蔵、以下特に断りのない限り写真は全て久留米市教育委員会所蔵)

  かつて久留米にはドイツ兵俘虜(ふりょ)収容所がありました。今から約100年前、第一次世界大戦時のことです。国内最初で最大規模の収容所として設置され、1,300人を超える戦争捕虜(注釈1)を収容していました。
 収容所はハーグ条約に基づいて運営され、捕虜は人道的に待遇されていました。将校には日本政府から給料が支払われており、下士官以下へも衣食住が支給されていました。本国からは義援金が届き、家族からの仕送りもありました。捕虜たちは安定した暮らしを送り、元の職業や特技を生かした多彩な活動を行っていました。
 ドイツ兵(注釈2)と当時の久留米市民は友好的な関係で、様々な交流の場面がありました。市民は彼らに親しみを込めて「ドイツさん」と呼んでいたといわれます。「ドイツさん」たちは、工業・文化・スポーツなどの分野で、近代ヨーロッパの進んだ技術や経験を持っていました。これらは、久留米の文化や経済・産業の近代化に重要な役割を果たしています。
 この連載では、その歴史をひも解き、様々なエピソードを紹介しながらテーマごとに8回に渡って書き下ろします。


(注釈1)戦争捕虜について、わが国では日露戦争から第二次世界大戦まで「俘虜」を公式用語としている。しかし、近年では「俘虜」は使用頻度が低くなじみがないため、本連載では「久留米俘虜収容所」などのような当時の固有名詞以外は、原則として「捕虜」を用いる。
(注釈2)収容当時の捕虜の国籍は、厳密にはドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国である。また、第一次世界大戦終了後に両国以外の国籍となった人々も含まれている。本連載では、便宜上「ドイツ兵」「ドイツ捕虜」と表記する。

テーマと掲載日

第1回 「ドイツさんはビールがお好き」 令和元年(2019)11月 1日(金曜日)
第2回 「ドイツさんが久留米にやってきた」 令和元年(2019)11月 8日(金曜日)
第3回 「ドイツさんの日常生活」 令和元年(2019)11月15日(金曜日)
第4回 「ドイツさんの楽しい遠足」 令和元年(2019)11月22日(金曜日)
第5回 「ドイツさんの文化スポーツ活動」 令和元年(2019)11月29日(金曜日)
第6回 「ドイツさんと第九演奏」 令和元年(2019)12月 6日(金曜日)
第7回 「ドイツさんは、どこにお勤め?」 令和元年(2019)12月13日(金曜日)
第8回 「ドイツさんが残した大きな足跡」 令和元年(2019)12月20日(金曜日)
番外編 「写真集:ドイツさんが出会った久留米の人々」 令和元年(2019)12月27日(金曜日)


番外編「写真集:ドイツさんが出会った久留米の人々」

久留米の人と交流するドイツ人のイラスト久留米の人と交流するドイツ人捕虜のイラスト

  ドイツさんと久留米の人々とは、遠足や労働、各種催しなど、収容所の内外で交流する機会も少なくなかったようです。ここでは、彼らが久留米やその近郊で出会い、カメラに収めた100年前の人々の姿や風景をご紹介します。当時、カメラは一般に普及しておらず、日常生活を写したものは数が限られています。ドイツさんたちが向ける、日本人への関心や眼差しを感じていただければと思います。

第8回「ドイツさんが残した大きな足跡」

帰国するドイツ人捕虜のイラスト

 講和条約が成立し、5年3ヶ月続いた久留米捕虜収容所も閉鎖の時を迎えました。ドイツさんたちは次々と帰国の途につきます。この間、捕虜たちの年間消費支出額は市の年間予算を超えており、久留米市は多大な経済的な恩恵を受けました。さらに第一次世界大戦の戦争景気による貯えが、その後の戦争不況を乗り切る基盤となりました。この時、久留米の産業を牽引したのは、捕虜たちが技術貢献したゴム産業でした。近代ゴム産業を基幹とする商工都市への発展は、ドイツさんたちの存在を抜きにしては語れません。

第7回「ドイツさんはどこにお勤め?」

工場で労働するドイツさんのイラスト

 国内産業の近代化を図る日本は、捕虜が持つ高度な知識や技術を活用しようと思っていました。捕虜たちにとっても、収容所の外にでて体を動かし、一定の賃金を得ることができるまたとない機会でした。捕虜たちの中には、機械やゴムの技術者がおり、彼らは「つちやたび合名会社」や「日本足袋株式会社」「ブリッヂストン株式会社」で雇用され、ゴム産業の発展に貢献することになります。

第6回「ドイツさんと第九演奏」

第9を演奏するドイツさんのイラスト

  もはや年の瀬の風物詩ともいえるベートーヴェンの「第九」。同曲が日本で初めて市民向けに演奏されたのは久留米でした。時に大正8年(1919)12月3日のこと。かつ、師走の演奏に先鞭をつけたのは、この時の久留米高等女学校でのコンサートといえるかもしれません。ドイツさんたちと女学生たちとの交流の様子を、捕虜の日記や写真から探ります。

第6回「ドイツさんと第九演奏」PDFファイル(4013キロバイト)このリンクは別ウィンドウで開きます

第5回「ドイツさんの文化スポーツ活動」

テニスを楽しむ俘虜

 日常的にスポーツや文化的活動を行うこと自体が、ドイツさんにとっては極めて自然で当たり前のこと。収容所内では各種委員会の自主運営で、近代スポーツや演劇、美術工芸品の製作が行われていました。それらは、スポーツ大会、演芸会、展覧会で市民に公開されることもありました。近代ヨーロッパの文化芸術を目の当たりにした久留米市民の反応はいかに?

 

第4回「ドイツさんの楽しい遠足」

ドイツさんの遠足先で写真を撮るイラスト

 管理を強化する収容所と不満が溜まる捕虜たちとの対立は深まり、ついに殴打事件が発生、国際問題にまで発展します。何もすることがなく単調な日々を送る捕虜たち。その不満やストレスを和らげたのは、収容所外へ出かける遠足でした。市街地のみならず、時には軌道や鉄道に乗って出かけたその先は?遠足先での市民との交流も描きます。

第4回「ドイツさんの楽しい遠足」PDFファイル(2827キロバイト)このリンクは別ウィンドウで開きます

第3回「ドイツさんの日常生活」

ドイツさんが仕送りを楽しむイラスト

 統合された久留米捕虜収容所にやって来たドイツさん。日本最大規模の収容人数を抱える新収容所では、単調な毎日が待っていました。その日常の暮らしぶりはどのようなものだったのでしょうか。そして捕虜生活での彼らの楽しみとは何だったのでしょうか?彼らの生活実態を日本政府の資料、捕虜の日記をもとに探ります。

第2回「ドイツさんが久留米にやってきた」

画像

  ついに久留米にドイツさんがやってきた!青島要塞を陥落させたのは久留米の第十八師団。捕虜となった彼らは久留米駅へ到着、その姿を一目見ようと市民が殺到します。一方のドイツ兵捕虜にとっても初めて見る日本の町。ドイツさんの目から見た久留米の街並みや子どもたちの様子や、久留米収容所の変遷をたどります。

第1回 「ドイツさんはビールがお好き」

ビールの飲むドイツ人のイラスト

 ドイツ人にとって、ビールは命そのものだともいわれます。捕虜収容所内ではアルコールの制限が緩やかで、中でもビールは下士卒まで飲むことが許されていました。嬉しい時、悲しい時、苦しい時、彼らの希望をつないだのは、ビールだったのかもしれません。ビールをめぐるエピソードと彼らの思いを日記や回想録からご紹介します。

第1回「ドイツさんはビールがお好き」PDFファイル(2816キロバイト)このリンクは別ウィンドウで開きます

 

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