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発掘調査情報「今どこば掘りよっとね?」

更新日:201812210936


市民文化部文化財保護課は、市内の各地で遺跡の発掘調査を行っています。数百年、数千年の歳月を経て、姿を現した遺跡は、調査が終わると埋め戻され、開発によって破壊され見ることができなくなってしまします。そのため詳細な観察をおこない、図面や記録を残すことで、大切な遺産を守ることを業務としています。

平成30年度の発掘調査速報

十間屋敷遺跡(じっけんやしきいせき)第10次調査〔日吉町〕

久留米市日吉町において、十間屋敷遺跡の調査を実施しました。本調査地は、17世紀(約300年前)には四宮家および田尻家、19世紀(約200年前)には井上家および加藤家の屋敷地であったことが、昔の絵図からわかっています。今回の調査では溝やごみ捨ての穴などが見つかりました。溝は幾重にも重なっており、2軒の屋敷地を区切る境の溝だと考えられます。屋敷境の位置がわかったことで、昔の絵図に描かれた屋敷地が、現在のどの場所に当たるかを、正確に知る事ができました。

日吉小学校を背に発掘調査を行う人々

江戸時代のゴミ捨て穴を調査する作業員たち

掘り終わったゴミ捨て穴

(解説)「十間屋敷遺跡」って何ね?

十間屋敷は、通町筋の南側に面している武家屋敷です。『石原家記』によると、17世紀中頃(約380年前)に整備されたとされています。『延寶八年図』によると、68軒分の屋敷地が設置されていることが確認できます。侍の屋敷や、家老の下屋敷などが配置されていました。現在の日吉町一帯にあたります。

平成29年度の発掘成果速報

白川(しらごう)遺跡第14~17次調査(久留米俘虜収容所跡)〔国分町〕

今回の調査は、第一次世界大戦の際にドイツ軍の捕虜が収容された久留米俘虜収容所跡の一部で実施しました。掘立柱で建てられたバラックの建物跡やサクラビールの瓶などが見つかり、久留米俘虜収容所の遺構が良好に残っていることが判明しました。サクラビールの瓶は当時の捕虜を写した写真にも載っており、今回の出土品は実際にドイツ兵捕虜たちが飲んでいたものなのかもしれません。

第14次調査区域。建物の跡に調査員が立っている。  酒保における俘慮とビールの写真

俘虜が持っているビール瓶の拡大写真  白川遺跡から出土したサクラビールの瓶の破片

第一次大戦時のドイツ兵久留米俘虜収容所については「歴史散歩ナンバー11ドイツ兵俘虜の足跡をたずねて」このリンクは別ウィンドウで開きますをご覧ください。

報告書の販売は「平成28年度に発行された発掘調査報告書販売のご案内」をご覧ください。

高三潴(たかみずま)遺跡第7次調査〔三潴町〕

高三潴遺跡は、近年、連玉(れんだま)や小銅鐸が出土したことで注目されています。今回の調査は御廟塚貝塚(ごびょうづかかいづか)の西隣で実施し、弥生時代の建物の痕跡や幅2~3メートルの大きな溝などが発見されました。30センチメートルほどの大きなカキの殻や、イノシシの骨、弥生土器、時期不明のウマの骨などが出土しました。

高三潴遺跡についてもっと知りたい方は高三潴連玉速報展リーフレットPDFファイル(1042キロバイト)このリンクは別ウィンドウで開きます

調査範囲の南側の全体写真。溝や穴が確認された。

溝の断面の写真。弥生前期のものであり、上層にはカキ殻が多量にある  ウマの骨の出土状況写真。頭部や体部がまとまって出土した。

久留米城下町(くるめじょうかまち)遺跡第27次調査〔通町〕

久留米の城下町を東西に貫く通町(とおりちょう)の六丁目にあった町屋の跡を調査しました。鉄の加工にともなう道具や、鉄の材料、排滓(はいさい)などが大量の出土しており、鍛冶屋の可能性が考えられます。

石で囲われた鍛冶炉  鍛冶炉に風を送る溝

(解説)「久留米城下町遺跡」って何ね?

江戸時代に造られた久留米城下の町並みは、東西方向と南北方向の2本の大通りを軸として、その通りに沿って町屋が軒を連ねていました。そのうちの東西方向の主要道である通町は、古くから久留米の商工業の中心であり、東芝の始祖 田中久重や久留米絣の祖 井上伝などが住んでいました。

久留米城下町(くるめじょうかまち)遺跡第26次調査〔通町〕

今回は、久留米城の城下町の中でも東端にあたる通町の十丁目にあった町屋を調査しました。調査の結果、江戸時代の土坑や古代の建物跡が確認できました。古代の土師器や江戸時代の陶磁器や瓦が出土しました。多くは、18世紀中頃のもので、久留米城下町が十丁目まで延伸された時期と一致しています。

調査風景の写真  甕の写真。甕3基の底部が横に重なって出土した。

庄島侍屋敷(しょうじまさむらいやしき)遺跡第11次調査〔荘島町〕

江戸時代に造られた庄島侍屋敷の北東の一角を調査しました。当時は「盗賊御検方」(とうぞくおんあらためかた)や「公事方」(こうじかた)、「探索方」(たんさくかた)といった役所が置かれていた場所です。今回の調査では、斜面を削って低いところに盛った造成の痕をはっきりと観察することができ、江戸時代にも大規模な宅地造成がなされていたことがわかりました。

調査の全景写真。中ほどに段差がある。

久留米城周辺の地図。天保期に作成された。 久留米城下町天保図(JPEG形式)(685キロバイト)このリンクは別ウィンドウで開きます

筑後国府跡(ちくごこくふあと)第289次調査〔合川町〕

古代の役所である筑後国府跡の一角を調査しました。国府とは今でいう県庁にあたります。今回の調査では、平安時代のごみ捨て穴や敷地を区切る柵の跡などが見つかりました。

筑後国府跡について知りたい方は『久留米の遺跡を歩こう「筑後国府跡」』

調査風景の写真。作業員が堀削している。  遺溝から土師器が出土している。

麓(ふもと)遺跡第1次調査〔御井町〕

久留米市の御井町には、平安時代後期ごろから薩摩街道(さつまかいどう)に沿って町屋が建ち並んでいました。今回の調査では、町の外側に巡る溝が代々作られていたことが分かり、府中宿(御井町)全体が溝に囲まれていた可能性が浮上しました。

調査区の全景風景。中央に溝が何本も見つかった。

江戸時代の穴蔵の断面  溝から出土した中世の馬の歯

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