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校区の文化財マップ

更新日:201708301314


「校区の文化財マップ」は、久留米市内の文化財と、埋蔵文化財包蔵地(踏査や調査の結果から地中に埋蔵文化財があるとみられる場所)を小学校の校区ごとに紹介したマップです。表面には地域の歴史と、各文化財や遺跡の解説を、裏面には地図を掲載しています。
以下に各校区の文化財マップのPDFデータをアップロードしておりますので、印刷して市内を散策してみてください。
以下の各マップは、東から西に順に掲載しています。
なお、埋蔵文化財包蔵地については、参考としてお考えください。詳細な調査結果をもとに、日々更新しておりますので、住宅建設など土地開発を行われる際は、市民文化部文化財保護課の窓口でお尋ねください。

久留米市内の各校区の文化財マップダウンロード

船越・水分・田主丸・水縄校区の文化財マップ

田主丸大塚古墳を掲載した表紙 久留米市東部にあたる田主丸町域の東部です。筑後川と巨瀬川沿岸の自然堤防に広がる弥生時代から古代の集落遺跡や、耳納連山の北麓につらなる大規模な古墳群など多くの文化財があります。
全長100メートルを超える田主丸大塚古墳や、千代久遺跡、装飾古墳の寺徳古墳などを紹介しています。

柴刈・川会・竹野校区の文化財マップ

中原狐塚古墳の奥壁の装飾を掲載した表紙 久留米市東部、田主丸町域の西部です。古代の竹野郡の役所の推定地や、それにかかわる墨書土器が出土した竹野小学校校庭遺跡、同心円文や船が描かれた中原狐塚古墳などを紹介しています。

大城・金島校区の文化財マップ

益影の井と、床島堰築造絵図を掲載した表紙 久留米市の北部にある北野町域の東部一帯です。筑後川の北岸の自然堤防上に弥生時代の集落遺跡が群在しています。青銅鏡や大型の管玉が出土した良積遺跡や、朝鮮系無文土器が出土した仁王丸遺跡など。また、三井郡の名の由来となった三つの湧水のひとつである「益影ノ井」や、近世の床島堰築造絵図も紹介しています。

弓削・北野校区の文化財マップ

北野天満宮の真っ赤な楼門を掲載した表紙 北野町域の西部です。北野天満宮に伝わる縁起、鳥居、大楠、銅製鰐口、神幸行事や、薩摩坊津街道のルートなどを紹介しています。

善導寺・大橋校区の文化財マップ

善導寺修理復元事業の際の発掘調査のようすを掲載した表紙 筑後川南岸の自然堤防上の集落遺跡が点在する善導寺・大橋校区は、弥生時代から古墳時代の木塚遺跡、5世紀後半の横穴式石室をもつ木塚古墳や、かつての町名の由来となった浄土宗大本山である善導寺、石浦大橋などの文化財があります。善導寺には、木造善導大師坐像をはじめ仏像や経典、境内の大樟などの貴重な文化財があります。

草野校区の文化財マップ

下馬場古墳の玄室の写真を掲載した表紙 国指定の装飾古墳である下馬場古墳は、同心円文や三角文、船などが描かれた6世紀の大型の円墳です。近年の発掘調査ではよろいを着た兵士、入母屋屋根の建物、馬具を着けた馬などをかたどった埴輪が出土しています。また、内畑古墳からは鉄製の武器や、南海産のいも貝を使用した馬具などが出土しています。
また、草野町は、近世の豊後街道の宿場町として栄えたため、豪華で古風な住宅や、銀行として建てられた洋館などが残っており、風情豊かな町並みがあります。

山本校区の文化財マップ

はぜ並木が鮮やかに朱に染まる写真の表紙 耳納連山北麓の斜面を東西に走る古代山辺道の周辺には、古代から現代までに作られた数多くの文化遺産が残っています。山辺道の南側の斜面には、永勝寺、千光寺、観興寺など古いお寺が多く、久留米市内随一の古刹銀座といってもいいほどの地域です。永勝寺には、室町時代の古瓦や、ケンポナシ、千光寺は梵鐘や伝懐良親王陵墓があり、観興寺の由来を物語る「絹本著色観興寺縁起」は現在京都国立博物館に寄与されています。また、近世の庭園である上野家庭園は市指定の名勝になっています。

山川校区の文化財マップ

安国寺遺跡の甕棺の出土状況を掲載した表紙 旧久留米市域の東部にあたる山川町には、筑後川の渡河地点である神代の渡しや、渡屋敷遺跡、神代氏館跡などがあります。また、現在も山川追分の地名が残っているように、南方から来た街道が、ここで、北と東へ分かれます。追分とは分岐点という意味です。神代氏館跡に隣接する安国寺遺跡は、弥生時代中期の甕棺と祭祀土器が大量に発見されたことから、国指定の史跡になりました。また、縄文土器の標識遺跡(縄文時代前期の時代を決定するものさしのひとつとして野口式土器という型式名が設定されています)として有名な野口遺跡もこの地域を代表する文化財です。

高良内・青峰校区の文化財マップ

大谷古墳出土の青銅製の馬具や耳環を掲載した表紙 高良山南麓と明星山北麓の間には高良川が流れ、谷状の地形になっています。この谷の両側には多くの古墳がありました。開発により多くが消滅してしまいましたが、高良内の大谷古墳や、久留米市斎場内の釜口古墳などは見ることが出来ます。そのほか、奈良時代に、国府や国分寺に瓦を供給した西行古窯跡群などの遺跡があります。また、地図には、薩摩坊津街道のルートも記載されています。

御井校区の文化財マップ

絹本着色高良大社縁起山内図の写真が載っている表紙 古代から筑後の国の中心地であった御井町は、マップが遺跡名で埋め尽くされるほどの遺跡密集地帯です。南筑高校校庭に保存されている筑後国府第4期政庁跡や、三角縁神獣鏡が出土したと伝わる4世紀の方墳祇園山古墳、高良山神籠石(こうごいし)などの史跡をはじめ、久留米つつじやモウソウキンメイチクなどの天然記念物なども紹介しています。また、かつて26ヶ寺360坊の寺院があったといわれる高良山の山中図も掲載していますので、山歩きにも使える地図としても便利です。

合川校区の文化財マップ

会川町上空を捉えた航空写真が掲載された会川校区の文化財マップ表紙 水縄断層(みのうだんそう)によって形成された高さ6メートルの断層崖から豊富な湧水が出ているため、この地域は縄文時代の早期から人々の生活の舞台となってきました。弥生時代には、筑後川の自然堤防上に多くの集落や墓地が造られました。40棟以上もの竪穴住居が検出された古宮(ふるごう)遺跡や古墳時代の豪華居館である市ノ上東屋敷遺跡など有数の遺跡が各所にあります。さらに奈良時代には合川に筑後国府が置かれ、筑後国の中心地となりました。

南薫校区の文化財マップ

五穀神社の石橋(市指定文化財)が掲載された南薫校区の文化財マップ表紙 古くから住み良い微高地であった南薫校区には、多くの文化財が残されています。狭い範囲の中に、多くの見所があり、町歩きには最適な地域です。筑後川に面する微高地には弥生時代から甕棺墓や集落が営まれました。江戸時代に造られた寺町は、今でも風情のある町並みが残り、偉人たちのお墓も多くあります。東芝の創業者である田中久重や、久留米絣の産みの親井上伝が住んでいた通町も当時の街路が残り、面影を伝えています。

宮ノ陣校区の文化財マップ

八丁島のご供養の写真が掲載された宮ノ陣校区の文化財マップ表紙 宮ノ陣の地名は、南北朝の戦いの際に、征西将軍宮懐良親王(せいせいしょうぐんのみやかねながしんのう)が陣を構えたことに由来すると言われており、校区の各所に、懐良親王にまつわる文化財が残っています。大原合戦の戦死者を祀った五万騎塚や、親王のお手植えと伝わる将軍梅などがあります。また、国分町から移転再興された国分寺や、杜の渡し跡なども見所です。

東国分・西国分校区の文化財マップ

聖福寺遺跡の網かごが印刷された表紙 明星山から伸びるなだらかな傾斜地であり、湧水の豊富な国分町一帯は、久留米市内のなかでも特に古くから人々が居住した地域で、縄文時代前期から晩期にかけて営まれた日渡遺跡群は著名な遺跡です。日渡遺跡群のひとつ、正福寺(しょうふくじ)遺跡からは、縄文時代後期(約3000年前)のどんぐりや網かごが良好な状態で出土しています。

上津校区の文化財マップ

浦山古墳の石棺が掲載された表紙 上津バイパスや国道3号、国道209号が交差する上津校区は、古くから交通の要所でした。古墳時代からの道とされる藤山道や、奈良時代の西海道、江戸時代の薩摩街道が交差し、道沿いには多くの文化財が残されています。藤山道を遮断する目的で造られた防塁である「上津土塁」や、浦山古墳の石棺などは必見の価値があります。

長門石・小森野・京町・篠山・荘島・日吉校区の文化財マップ

三島家長屋門が掲載された表紙 戦国時代末期から久留米城の城下として、現在まで久留米市の中心部にあたるこの校区には、いまでも城下町の面影を見ることが出来ます。表紙の三島家長屋門や、京町の坂本繁二郎生家、荘島の青木繁旧居、水天宮や、梅林寺、日輪寺山門などは当時の風情を感じられる場所です。

鳥飼・金丸・南校区の文化財マップ

雪の聖母堂が掲載された表紙 鳥飼校区の西側半分ほどは、かつて筑後川の氾濫原でした。その湿地帯に向かって池町川、おこん川、金丸川などの河川が流れ込んでいます。広大な湿地と、それに向かって緩やかに傾斜する低台地には、草木が繁茂し、多くの渡り鳥が立ち寄ったことでしょう。日本書紀には、水沼君が雄略天皇に雁10羽と養鳥人を献上したことが記されており、鳥飼の名のごとく、多くの鳥を養っていた地域であると考えられています。また、金丸校区には、市指定文化財の雪の聖母堂、南校区には日渡遺跡などがあります。

安武・津福校区の文化財マップ

塚畑遺跡群出土の弥生土器が掲載された表紙 安武校区は、筑後川に面しており、古くから筑後川とともに歩んだ人々の足跡が残されています。安武町住吉には、中世安武氏の居城である海津城や、肥前と筑後を結ぶ住吉の渡や番所跡などがあります。また、安武町安武本の野瀬塚遺跡は、奈良時代から平安時代にかけての工房跡と考えられる建物跡が40棟以上発見され、市指定史跡となっています。隣の大善寺校区の大善寺南地区遺跡群とともに、古代三潴郡の中核的な機能を持った遺跡として評価されています。

荒木校区の文化財マップ

鷲塚古墳の青銅鏡 平安時代に書かれた『和名抄』には、三潴郡のなかに荒木郷という村が記されています。荒木郷の中心地は現在のJR荒木駅の西側一帯であったと考えられており、白口経塚遺跡などがあります。また、古墳時代の豪族「水沼君」の一族の墳墓とされる墳長50メートル規模の二子塚古墳が、かつて荒木小学校付近にありましたが、現在は削平されて残っていません。しかし、現地で採集された埴輪は、九州の古墳時代の埴輪の移り変わりを調べるための貴重な資料となっています。

大善寺校区の文化財マップ

御塚・権現塚古墳と伝銚子塚古墳の出土品 広川と筑後川が合流するこの校区には、大善寺の地名の由来となった大善寺玉垂宮を中心として、多くの文化財があります。弥生時代には、環濠集落である道蔵遺跡や、墓地である汐入遺跡などがあります。古墳時代には、古代豪族「水沼君」の墳墓と考えられている御塚・権現塚古墳などの巨大な古墳が造られました。奈良時代には、玉垂宮の西側一帯に、三潴郡の役所が造られ、三潴郡の中心地として、繁栄しました。

三潴・犬塚・西牟田校区の文化財マップ

旧三井寺ポンプ所及び変電所 旧三潴町は、東部の丘陵地と西部の低湿地が極端な比高差を有しています。低地に面した自然堤防などに、銅剣が出土した御廟塚貝塚、集落遺跡である玉満松木ソノ遺跡などの遺跡があります。八女丘陵の先端である丘陵地には、十連寺古墳などの古墳があり、古墳時代の豪族「筑紫君」との関係が示唆されています。

浮島・青木・江上校区の文化財マップ

法林寺の宝きょう印塔 旧城島町一帯は、標高4メートル以下の地域が大部分を占め、今から6500年ほど前の縄文海進のころには海であった地域が多かったと考えられています。その後筑後川の堆積作用と有明海の干満の差によって、広大な干潟が形成されました。弥生時代になると、海と川の便を活かして、渡来人などが住みつき、集落が形成されていきました。平安時代の百科事典『和名抄』にみえる「管綜(つつえ)郷」は、江上付近に比定されています。

下田・城島校区の文化財マップ

久保遺跡出土の擬朝鮮系無文土器 城島町の名物に、「えつ」という魚がありますが、「えつ」は筑後川下流と中国長江流域にしか生息してない魚と言われており、この地域が、有明海を通じて海外との交流が密接であったことが窺えます。城島中学校の校庭から見つかった久保遺跡は、朝鮮系の技法でつくられた弥生時代の土器が多く出土しており、渡来人の二世が営んだ集落と考えられています。

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